大家について
「大家(うふやー)」のメインである「安里家」は今から100有余年前、明治時代後期に建築されました。
歴史的価値から見ても未来に残すべきだと考え2001年に修復し、南側に沢岻家、北側に新城家を移築・復元し、沖縄そばと琉球料理の店としてオープンいたしました。
大家ストーリー
安里家(あさと家)
安里家七世の晋芳が明治34年(1901年)に現在の名護市中山に建築。築100年たった2001年8月に修復され現在に至ります。「大家・うふやー」という名称は、安里家の屋号からきています。同じ姓の多い沖縄では、昔は個人の姓名よりも屋号で呼ばれる事が多く、「うふやー」という屋号は、本家(沖縄で言うムートゥヤー)のような意味合いを持つと言われています。
沢岻家(たくし家)
沢岻家は、沖縄県今帰仁村湧川に明治時代後期に建築された民家を、現在の場所に移築したものです。屋号は「カーラヤー」と呼ばれており、「カーラヤー」とは「赤瓦葺きの家」という意味で、当時はほとんどの民家が藁葺きであった事を考えると、「赤瓦葺きの家」は、かなり裕福な家であったことが窺われます。建築には、チャーギ(イヌマキの木)が使われ、釘を使わない工法で建てられました。
新城家(あらぐすく家)
新城家は、昭和8年(1933年)沖縄県国頭村の謝敷に建築された民家を、現在の場所に移設したものです。屋号は「カーヌメー」と呼ばれていました。「カーヌメー」とは「川の前」という意味で新城家が川の前にあったため、このような屋号で呼ばれていました。建築に使われた木材は、謝敷山から採れた樫の木が使われています。
~大家の庭園散策~
自然豊かなやんばるの森を活かしながらも、美しい南国の花や草木を植樹し、豊かな自然を表現しています。
建物内から見える滝は、ずっと丘の上の方まで続いており、散策コースの頂上から大家を見下ろす景色はまた格別です。
ぜひ食事の後に散歩してみてはいかがでしょうか。